畏怖、共生、そして感謝。


  • 猟師の神棚には、氏神である十二社から神事の後に授かる御幣が供えられる

  • ツキノワグマの毛皮。
    クマ猟には10人程度で出かけるのが理想という

隔絶ゆえの独自文化

“やゝ夜に入れば、約束を変ぜずして、狩人ふたりの内一人訪ね来たり。齢は三十とも見え、いかにも勇猛にして、背に熊の皮を着、同じ毛の銃卵(煙草入れ)を前に置き、鉄張りの大煙管にて煙を吹き出す風情、天晴れなる骨柄に見受けぬ”
―鈴木牧之『秋山記行』

江戸時代末期、越後の文人・鈴木牧之は秋山郷を旅する。そこで見聞きした様々な出来事を『秋山記行』に記した。秋田からやってきた旅マタギたちにも会い、どのようにして猟をし暮らしているかも書き留めている。彼らは獲物を求めて遠くまで歩く。山の幸豊かな秋山郷へもよくやってきていた。村人にも猟を教え、貴重な戦力として育てていた。あるとき旅マタギと秋山郷の娘が恋仲になり、この村で所帯を持って定住した。その子孫が、福原和人さんだ。
「秋田の阿仁町がルーツです」。囲炉裏端で福原さんは話す。江戸時代までは隠れ里のようにひっそりと暮らしていた村落だ。四方の高い山に隔絶され、落人が住み着いたとされる。秋田マタギもそこに溶け込み、山とともに暮らす生活を続けてきた。
「獲物を獲ることだけが目的ではありません」。マタギは、山の恵みを分けてもらって命をつなぐ。だから、自然へ畏敬の念を持たねばならない。そのためにしきたりは厳しく守る。例えば、山へ入る日は女性と口をきかない。山の神は女性なので、嫉妬されるからだ。入山してからは縁起の悪い言葉は使わない。ライフルは命中しすぎるから敢えて散弾銃を使う。自然の摂理に従い、同化し、交感する。敬虔な精神があってこそ、マタ ギは文化として今に続いている。

自然共生のプロフェッショナル

秋山郷の隔絶された地理条件は、今も変わらない。それを逆手に取り、「秘境」という打ち出し方で発信してきた。実際、観光資源も多い。日本百名山である苗場山への登山口としても知られているし、木工やわら細工などの工芸品、山菜、キノコなどの山の幸が豊富だ。もちろん、マタギ文化もその一つ。福原さんが営む民宿には「クマの話とおいしい水」というキャッチフレーズが書かれている。「クマの話」はもちろんマタギの体験談だ(『おいしい水』は、家の裏が水源地であることから)。
「マタギに興味のある人も、結構来るんです。そういう人たちが少しでも移住して定着してくれるといいんですが」。栄村村議会議長でもある福原さんは、人口減に対しても手立てを模索する。移住して来るには生活の糧を見つけなければならない。「四季それぞれで違う仕事、何かしらの働き口はあります」と、福原さんは続ける。自然に関わる作業が、やはり多い。山と共生していくためには、手を入れ木を守らねばならない。それは生態系の保護につながり、山の恵みに帰結する。古来不変のサイクルだ。秋山郷の存続には、人の手が必要なのだ。
外界と隔絶していたからこそ、今も残る色濃い山村文化が醸成された。それを現在・未来にどう適応させ発展させていくか。今こそ、自然と共生してきたマタギの経験と勘が活かされるときだ。


  • 山に入るとマタギの眼に変わる。ウサギ、ヤマドリなどが冬季の獲物だ

  • 猟には欠かせないマタギナイフ。手造りする人も多いそうだ

そのほかの達人達をみる

  • 郷土料理研究会会長 竹井孝子 野沢温泉村
  • 渋峠ホテル 児玉幹夫 山ノ内町
  • 竹内農園 竹内昭芳 木島平村
  • サンクゼール代表取締役 久世良三 飯綱町
  • 小林一茶、七代目子孫 小林重弥 信濃町
  • 日本きのこマイスター協会 前澤憲雄 中野市
  • 人形作家 高橋まゆみ 飯山市
  • ネイチャーガイド 敷根俊一 妙高市
  • マタギ 福原和人 栄村

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