ホーム > 信越人、スペシャル > サンクゼール代表取締役 久世良三 飯綱町
※猪谷六合雄:18901986 群馬県生まれ。日本近代スキーの草分け。自力でジャンプ台や回転コースを作り、スキーの研究に没頭する。英才教育を施した息子・猪谷千春は、1952年のコルティナ・ダンペッツオ五輪で回転競技銀メダルを獲得『雪に生きる』は1943年に出版されベストセラーとなり、今でも多くの人々に読み継がれている。
ワイン樽がいくつも積み重ねられた醸造庫に、久世良三さんがいた。熟成中の樽からスポイトで吸い、真剣さと慈愛がミックスされた視線でグラスの液体を確認する。まだまだ薄いピンク色。これがあと何年かすると、豊饒なワインとなって出荷される。飯綱町「St.Cousair(サンクゼール)」のワイナリーは、信州のブドウが明日の夢を見ながら眠る揺りかごだ。
今ではあまねく知名度を持つサンクゼールだが、始まりはペンションだった。東京っ子の久世さんは、スキーで何度も訪れた信州に憧れていた。きれいな空気の中で暮らしたいと、借金をして斑尾高原にペンションを開業したのが1975年。まだ何のビジョンもなかった。猪谷六合雄*の『雪に生きる』に心酔し、ただスキー場の近くで暮らしたいとしか思っていなかった。当然ながらさまざまな不協和音が起こり、夫婦は心身ともに疲弊。その頃、奥さんのまゆみさんが作ってペンションで出していたリンゴジャムが、評判となる。転機だった。ジャムの販売は軌道に乗った。
その頃、新婚旅行代わりにフランスのノルマンディー地方を訪れた。二人、レンタカーで各地を回り、その牧歌的な暮らしに魅せられる。リンゴやブドウがなる、牛がいる、レストランでのんびりワインや食事を楽しむ、教会で祈る―こんな場所を作りたいと、強く思った。「サンクゼール」の原型は、ノルマンディーで生まれた。
帰国後、ジャム工場やワイナリー、レストランを建てた場所が、斑尾にもほど近い三水村(現・飯綱町)だった。北フランスのノルマンディーは、北信濃の村に重なった。
「カントリー・コンフォート(Country Comfort)」という言葉がある。「田舎のゆったりとした心地よさ」の意味だ。「私たちがノルマンディーで見た豊かな暮らしは、田舎でなければ実現できません。でもその豊かさに気付かず、財産を見逃している人が多いんです」と、久世さんは語る。信越の豊さに、東京生まれだがらこそ気付いたのだ。土地の財産を活かし、サンクゼールブランドを生み出した。
「今、世界の流れとして社会は『質』を大切にする局面に入っています。高品質な生活を、田舎から提案できる時代になりました」。その一例が新ブランド「久世福商店」だ。和の食材を、日本中から集めた。各地で発見したいいものを「どうやって売るか」を示した、久世さんならではの方法論が詰まっている。信越の産物を吟味してきた嗅覚を、全国に応用したのである。
優れたシェフは、土地のものを引き出す技に長けている。優れた食材であれば、それだけで料理は成立する。久世さんはさながら三ツ星シェフだ。だからそのもとには優秀な人材が集まる。サンクゼールは今や県内有数の人気企業。都会へ出て学んでいる若い人たちや、自然の中で働きたい人たちの受け皿として機能している。
ノルマンディーを目指して出発したサンクゼールは、信越で独自のポジションを築いた。まさに「サンクゼール」としか言いようのない世界が、飯綱の丘にある。そしてそれは、都市の価値観をもゆるやかに変えようとしている。
本社内の品質保証部では、すべてのロットから抜き取り検査を行っている